木戸さんとしげの兄さま




 岩倉使節団に先駆けて七月下旬に帰国した木戸は、使節団での報告をまとめる傍ら、団員の家族のもとをまわり、異国でどういった様子であったかなど近況を伝えに歩いていた。
 一応は使節団副使前の役職「参議」はそのままであったが、どうも今の政府はきな臭い。
 関わり合うのを避けて、岩倉使節団が戻るまで様子見と決め込み、報告書や体の変調などを理由に正院への出仕はできる限り避けていた。

(朝鮮使節派遣……)

 西郷などが主張する外交交渉における使節団の派遣には武力が匂う。
 あの西郷である。

「おいが一人で行き、説得するでごわす」

 と言うならば、その言葉に偽りはあるまい。だが西郷の後ろにある勢力には火薬が臭う。一兵も連れずに西郷が朝鮮に乗り込むことを、あの西郷を崇拝する薩摩隼人たちが頷くはずはない。

(無理と言うもの……)

 ましてや西郷一人が乗り込んで、万が一、切り殺されたりするならば、間違いなく武力衝突となるのは必定だ。

(私が同盟において、薩摩藩邸に乗り込んだ手とは……これは違う)

 薩摩と長州、確かにあの折は一国と一国の存亡をかけての交渉を行った。
 木戸は短刀すら外し、薩摩藩邸に乗り込んだ。供は三人。うち一人は元土佐藩士の田中顕助で、高杉が代理として立てており、長州人ではなかった。

『死すならば一国を背負うものとして、その場で死す覚悟』

 自らの死において、わずかたりとも薩摩がこの先、幕府に対して討幕の意思を固めるならば犬死ににはならない。
 そう言い聞かせつつも、あれも五分五分の交渉であった。
 だが今回の朝鮮使節団派遣とは明らかに違う。なにせ言葉は通じた。西郷がどれほどの器量人であろうとも言葉は通じず、通訳を介した交渉にどれほど「心」は通じるかしれない。
 ましてや朝鮮は日本を排斥しようとも考えているのだ。

(同盟は……長州が滅びれば次は薩摩という危機感があったゆえ……結ばれたに等しい)

 ところで鎖国を頑なに守ろうとする朝鮮は、かつての攘夷か佐幕かで騒いだ幕末の日本に似ている。あの騒乱の如きありさまでは「攘夷」のもとに西郷とて切り殺されかねない。
 幕末の日本で薩摩藩が生麦事件を起こしたあの過程と、因果がめぐって西郷の身にそれが跳ね返ることになれば、朝鮮どころかこの日本も大騒乱だ。
 正院に行けば意見を求められる。
 先に戻った大蔵卿の大久保が「休養」と称し、半ば引退を匂わせて雲隠れしているのも、このきな臭さが原因だろう。
 使節団の正使右大臣岩倉具視が戻らねば、使節団反対派は動きが取れない。使節団随行の人間はおそらくそのまま朝鮮使節団反対にまわるに違いないからだ。
 近代化が進むヨーロッパをこの目で見た。産業を工業を街並みを……。今、この国は何をすべきか。他国と戦争などやっている暇はない。
 木戸はため息をつきながら、家の縁側に座っていた。
 昨日はパリやローマを一緒に歩いた中井弘の家族を築地に訪ねて、異国での中井の状況など知らせてきた。

「これでおおよそ終わったけれど」

 特に親しかった人間の家族のもとはまわった。
 残されたのは二件。一件は山川捨松。女子留学生として亜米利加に岩倉使節団とともに旅立った、まだ十一歳の少女である。
 始めは木戸に対してぎこちなかった。捨松は会津の戦争を体験している。鶴ヶ城の中で毎日焼夷弾を浴び、人が死ぬ様を見ながら生きてきた。山川家とは会津藩の名家。兄の大蔵は家老であった。
 会津戦争には多くの長州人が関わっている。ましてや会津と長州にはかの幕末の京都で因縁が多くあり、その因縁から長州が会津を滅ぼしたと公言されているほどだ。
 その長州の首魁に等しい木戸に対して、捨松も思うところは多々あったのだろう。

「わたしの名前はさきといいます」

 いつごろからか少しずつ打ち解けて、捨松と話をするようになった。
 木戸にも娘が一人いる。養子としている甥の孝正と正二郎も今回の使節団の船に乗り、孝正はアメリカに、正二郎は英国に留学することになっている。
 孝正は十五歳。正二郎はその二つ下で、少年から大人になる年頃だ。その年頃でもやはり木戸としては心配がつきないというのに、年頃の娘を旅立たせる親の心境はいかばかりだろうか。
 捨松は十一、いちばん小さな梅子はまだ八歳だ。

「親は今回の留学で、私は捨てたようなものだと。捨てたつもりで異国にやると言いました。だから捨松と名付けられたのです」

 捨松の運命は怒涛である。会津戦争を終え、斗南に国替えとなった会津藩は、そこで地獄を見た。北国の雪深き地。作物もほとんど育たず、餓死者すら出ている。
 元会津藩京都留守居役の秋月梯次郎からの手紙でその状況を知った木戸は、旧会津藩の生活支援を上奏した。どれほど会津を憎んだか知れなくとも、罪なき人々まで憎みつくすことなど木戸にはとうていできなかった。
 米などの食糧支援などが決定したが、明治政府自体が金がなく、支援といっても微々たるものであっただろう。
 斗南一国の大参事であった山川家ですら他の藩士ともども生活が苦しく、末子のさきに海を渡らせ函館の沢辺琢磨のもとに里子に出したほどである。沢辺はかの坂本龍馬の従弟であったが、とある事件から流れに流れて函館にたどり着き、そこでロシア正教の洗礼を受け、日本で最初の信者となった男である。
 さきはその沢辺の紹介で仏蘭西の夫婦のもとに引き取られることになったのだが、兄大蔵が岩倉使節団の留学の話を聴いて飛びついた。
 さきの六歳年上の兄である健次郎が、国費留学生としてすでにアメリカに渡っている。
 健次郎は会津戦争の後、秋月梯次郎の友人であった奥平謙輔に書生としてあずれられ、その奥平の導きで留学が決まった。奥平は長州藩士である。秋月は京都留守居であったことから多くの人脈を持っていた。

「親に捨てられた娘でございますが、あの飢餓の斗南の暮らしを思えば、捨てられて異国にいかせてもらうのは幸せかもしれません」

 斗南に移った会津藩の家族たちは、廃藩置県によりふるさとである会津に戻るものが多かった。中には北海道にも数多く移住している。それだけ生活が困窮していた。

「さきさん」

 木戸はそう呼びかけた。

「名はどのような字を書くのですか」

 捨松は微笑んで「桜が咲きほこるの咲きでごさいます」と嬉しそうに言った。

「誰かが名前を呼んでくださらないと、私は本当に捨松となって、咲という名は忘れ去ってしまうのがかなしい」

 凛とした娘であった。
 亜米利加に渡りそこで別れるまでについてを家族に伝えたかったが、山川家は木戸には憚るところが多い。外務省の一等書記官として使節団に随行している福地源一郎が戻ったら、伝えにいってもらおうと思っている。
 使節団では木戸は福地といることが多かった。自然とそのまわりに気の置けない仲間たちが集まり、子どもたちも多く集っていた。
 女の子たちを見ていると、悲惨な戦争を経験したからか捨松は実にしっかりとしていた。幼少の梅子をよく面倒見ていたものだ。八歳の梅子は若干甘えたがりで、捨松を姉のように慕っていた。
 十五歳の上田ていや、吉益りょうも年齢の割にしっかりとしている。そして永井しげ。彼女がいちばん目をキラキラさせていた。
 上田と吉益は翌年には帰国している。ホームステイという異国の家族の中での生活は幼子の方がすぐに慣れて順応しやすかった。

「しげちゃんのお兄さんはどこにいるのかな」

 つぶやくと、庭に遊びに来ていた猫がにゃあと鳴いて、縁側に飛び乗ってきた。人懐こい猫で、木戸家の常連のお客となっている。

「探しに探したのだけで……もう少し探さないとね」

 子どもたちの中でいちばんに木戸に懐いたのは、九歳のしげだった。

「木戸さま、木戸さま」

 と手を引っ張って、よくあらぶる海を一緒に見たものである。
 いろいろな話をした。永井という姓は養子先で、かの幕府崩壊前に医者の永井家に養女に出されたのだという。
 捨松のように家が貧しかったからかと思って鎮痛な顔をしてしまった木戸に対して、

「私の家は女の子が育たないと言われていますの。上の姉が亡くなり、次の姉も身体が弱くて。母が女の子はこのままではいけないと代々信心しているお大師さまに縋ったそうです。ご神託が何かは知れませんけど養女に出せば無事に育つと言われたみたいで」

 それで急きょ、養女に出されたらしい。

「お父さまはお仕事で島にいってしまいました。私を育てて下されたのはいちばん上の兄さまでしたの。私は兄さまがとても大好き。父や母と離れるのは悲しくはなかったのだけど、兄さまと離れることだけはさびしくて」

 養女に出されたものの永井家では代替わりをして、しげは居場所がなかったらしい。

「それを知った兄さまが使節団の話を聞きつけて申し込んでくれて。養子先から呼び出してくださいましたの。異国はとても面白いからいってらっしゃいって」

「……君の兄上は……」

「兄さまとお父さまは一度、幕府の使節団で巴里にお行きになったとのことです。私が生まれてすぐのことです。兄さまは英語がおできになるから、異国はとても楽しかったとよく話してくれました。ナポレオンとかいう皇帝も見たといっていました」

 第二回遣欧使節団のことを言っていると木戸はすぐに気づいた。
 横浜鎖港談判使節団とも言われ、開港した横浜を再度閉鎖するための交渉のために派遣されている。文久三年のことだ。

「君の兄上は英語が話せるのかい」

「兄さま、昔、ヘボンとかいう英国人のお母さまに英語を習ったといっていました」

 そのため異国の話を聴いて育ったしげは、目をキラキラとさせてまだ見ぬ異国に思いをはせていた。
 女の子たちの中でいちばん元気がよくて、明るくて、近くにいると楽しい気分になる少女は、他の子どもたちと違い俗にいう激しいホームシックになることはなかった。
 だが、人が寝静まり、ふと風を感じたくて舟の甲板を訪れると、そこでしげは一人の男性に抱かれて泣いていた。
 それをしばらく遠ざかってみていたのだが、その男が気づいた。まだ二十歳を少しくらい過ぎた若い男だ。

「名村一郎と申します。木戸さま」

 長州の兵部省理事官山田顕義随行となっている。

「知人の妹にございます」

 しげは泣き疲れたのか眠っていた。
 人前では弱いところなど見せはしない娘だ。この名村という青年とはよほど縁が深いのだろう。

「……皆、父や母、兄弟姉妹が恋しいと人知れず泣くものです」

「この娘は……兄とその妻が恋しいのでございましょう」

 相当の兄っ子らしい。
 一等書記官の福地もしげの兄とは友だちらしく、しげには「福地のお兄さま」と呼ばれて懐かれてもいた。その他にも一等書記官の田辺太一もしげには優しい顔をする。
 おそらく元幕臣なのだろう。しげの兄という人物は。
 しげは、どれほと福地や田辺には懐いていても、目の前の青年のように抱きついて泣きはしない。木戸は少しばかり名村という青年が気になった。

「名村……あぁ福澤さんのところの塾生だって僕は聞いたよ」

 名村の役職は山田顕義随行である。後輩の山田と食事をともにしながらそれとなく木戸は尋ねてみた。

「英語ができるから、随行にはちょうどいいって。帰ったら司法の官吏になるんじゃないかな。それに……田島の推挙」

 田島圭蔵のことを言っている。
 田島は薩摩藩士で新政府軍艦高雄の艦長であった。明治元年のことである。その高雄が箱館港に寄港したときに、榎本脱走艦隊に拿捕されるということが起きた。
 このとき、田島は箱館が榎本軍に占領されていることを知らなかったのである。
 田島らは半月は逗留されたが、英国人商人たちの働き掛けや、国際法に精通している榎本が、捕虜は帰還させるべきと考え、青森に無事に戻された。
 このことに感動し、恩に感じた田島は、以降、榎本らの助命に動き、また箱館帰りの青年たちをも影ながら庇護している。

「田島の話だと箱館の戦争に加わって捕まったみたいなんだよね。なんの因果か。そのときの箱館を攻めた参謀の僕のところにまわすなんて」

 だが、かなり英語ができるから重宝できると山田は笑った。
 箱館戦争に参戦しているとならば、名村もまた元幕臣ということだろうか。

「しげちゃんのまわりは元幕臣ばかりだ」

 その兄とはいったい何者なのだろうか。福地や田辺ほどの男が「友だち」と笑うのだから、それなりの人物だろう。

「しげちゃんの兄上に会ってみたいものだよ」

「徳の兄さまは兄弟の中でいちばん顔よく姿よく性格よしです。しげも兄さまのような人と結婚したかったのですが、姉さまは小町でございます。仕方ございませんの」

 亜米利加で別れるときに、しげに頼まれた。

「しげは元気にしています。ホームの家族もみんなとっても良い人で、毎日が楽しい。だから心配しないでくださいと徳の兄さまにお伝えください。手紙もきっと書きます。だから……返事をください」

 最後は涙ぐんだしげの両手を木戸が握りしめると、「木戸さま、ご無事で」とその手を握り返して涙を落とした。
 あの可愛いしげの兄をどうにか見つけなければならない。
 まずは養子先の永井の家を訪ねた。父親は静岡というこどだが、跡を継いだ息子たちが東京に出てきていた。しげのことを話した。丁寧なもてなしであったがどことなくよそよそしく居心地が悪かった。

(養子先になじめなかったのは確かなようだ)

 さしてしげの状況に興味を持ってはいない。

「しげさんの生家の方はどうなっておりますか」

 遠まわしに木戸が探りを入れると、

「父親は幕臣として出世頭で算術もよくできました。だが今では、バテレンの伝道師などというものをしています。……私たちはあの家とはもう関わりは一切ございません。兄は横浜にいるとは風の噂で聞きましたが」

 とてもではないがそれ以上は尋ねられる雰囲気ではない。
 すでに縁を切ったという匂いがする。
 木戸は横浜に行き、関内で聞きこみをすることにした。ちょうど馬車通りでアイスクリンなるものが発売されており、冷たい菓子は二元もするが食べてみたいと思った。
 異国でもチョコなどは食べたが、アイスというものは始めてだ。
 アイスを食べ、関内を尋ねまわる。福地から「徳は騎兵隊の頭だった」という情報も得ていた。
 幕臣の騎兵あがりで英語ができる青年がいないか聞きこむこと何十件、

「中屋さんのことではありませんかね」

 一人の男が首を傾げながら言った。

「最近は見かけませんね。フィッシャー商会に行けば分かりますよ。あそこに出入りして通訳などしていましたから」

 その情報を頼りにフィッシャー商会というところに出向いてみる。輸出をおもに扱っており繁盛が窺える大きな造りの店である。
 木戸は名乗らなかったので、日本人の通訳が対応してくれた。中屋徳兵衛という人のことを伝えると、

「……随分前に大蔵省の下っ端役人をするといって東京に行きましたよ、徳兵衛さん」

 幕臣で遣欧使節の一員にもなり渡仏した男が、幕末の中で騎兵頭になり、幕府崩壊をした後は横浜に出て商人になった。英語が堪能だからか、商人から大蔵省の役人に鞍替えをしたらしい。
 なかなかに波乱万丈な人生である。
 怒涛の人生では勝るとも劣らない木戸ではあるが、武士からあえて商人になるなど、流転の先を自ら切り開いて進む力には恐れ入る。
 だが、木戸は疲れ切っていた。大蔵省に中屋、または「徳兵衛」という名の人間はいないかと問い合わせ、ついでに幕末の第二回遣欧使節に加わった人間について一式資料を取り寄せるように依頼もしたが、幕府時代のことなので時間がかかるらしい。

「徳兵衛は商人風にした名前だから、実名は違うかもしれない」

 福地は「徳」と呼び、しげは「徳のお兄さま」と呼ぶのみで、その名をきちんと聞かなかったことが悔やまれた。
 こうなっては、福地や田辺が帰国するまで待つしかないようだ。
 せめてしげの旧姓だけでも分かれば早かったのだが、こればかりはどうにもならない。
 使節団が帰国はすなわち廟堂での政争を意味している。大久保が西郷と刺し違える覚悟でいるのを知り、長州と薩摩との間に軋轢があってはならないと危惧して、木戸は廟堂には立たず、成り行きを見守ることにした。
 それは恐ろしい政争だ。その中でも公家というものは時勢を見ては揺れ動く。岩倉ほどの男であろうとも、西郷の迫力に押されていったんは派遣賛成に傾き、怒り狂った大久保がその場で辞表を叩きつけたほどだ。

「三条さんに病気になってもらうしかないかもしれない」

 状況を知らせに来る伊藤にぽつりと木戸はつぶやく。

「……使節派遣はあってはならない。廟堂で賛成多数で可決したというけれど、奏上できるのは太政大臣の条公のみ」

 伊藤は瞬きをして、わずかにぶるりと震えた。

「それは条公に一服……」

「人聞きがよろしくない。私はただ病気になってもらうしかないと言っただけだよ。お願いしてごらん。この木戸が病気になってくださいと言っていますと」

 伊藤がどうお願いしたかは知れないが、三条実美はその宵、本当に病気になった。
 ここで太政大臣代理となった岩倉具視が巻き返し、「まろは岩倉や。三条公ではない」と言い放って、朝鮮使節派遣の奏上を蹴った。西郷に凝視されようが今回は岩倉は踏ん張ったらしい。
 いったん使節派遣派が勝利したときに大久保をはじめ、木戸も辞表を出した。そして今回、岩倉の押切で使節派遣は時期尚早となり、西郷や板垣、江藤などが辞表をだし、この国に参議は一人もいなくなった。
 これが後に明治六年の政変と言わせる「征韓論」から始まった政争である。
 ようやくことはおさまったと安堵した木戸は、築地本願寺に参詣がてら下野している後輩井上馨が打ち立てた会社の仮事務所を訪ねようと思った。まだ会社名もない。すべてが仮だが、すでにフィッシャー商会を通じて貿易は始めているらしい。

「フィッシャー……」

 横浜でしげの兄が通っている商会として名を聞いたことを思い出す。

「木戸さん」

 築地本願寺を出ると、なにやら大荷物を抱えた福地源一郎と行き当たった。

「源一郎、おまえの帰りを待っていたのだよ」

「木戸さんに待たれるとは吾曹としてはこれほどの果報はないというものだ」

 ニタリとわずかに歪んだ表情を見せる男前の袖を引いて、

「私は先に戻ったから、使節団の人たちの近況を知らせに家族のもとに訪ねていたのだけど、どうしてもしげちゃんの兄が分からなくてね。おまえが帰るのを待っていたのだよ」

「しげの兄……」

「そう、永井しげちゃんの兄上だよ。徳の兄さまと呼んでいたね。養家の永井家は訪ねたのだけど、とても聞ける雰囲気ではなくてね。関内で調べたらどうやら中屋徳兵衛というお人らしいのだけど」

 今どこで何をしているのか木戸にはついに探せなかった。
 福地は何やらポカーンとした顔になったのだが、

「……木戸さんよ。あなた、井上さんが始めた会社を訪ねたことはあったか」

「それは何度か覗きに行ったよ」

 ちょうどこの築地を本拠としている。

「なら、俺をそこに案内してくれよ。この風呂敷、全部、土産なんだ」

 風呂敷の一個を背負い、もう一個は抱え、それは相当の重そうだ。

「一個、持つから」

「そんなことあなたにさせたらよ。この吾曹があの井上さんにドカンと雷を落とされるんだ」

「……それにしても大量だね」

「商法やら英国やアメリカの企業や財政の仕組みを買ってきてくれと頼まれてな。こんなに重くなるとき思わなかったんだ」

 築地本願寺から五分ほどのところに井上が始めた通称「岡田組」の会社がある。
 訪ねると、すぐに子どもと言われる丁稚が応対に出てきて、中に通された。

「これはまた……」

 福地がケラケラと笑いながら、

「おい井上さん。吾曹はあんたに文句があってきたんだ。手紙で知らせただろう。吾曹は戻ったら大蔵省で財政をやりたいと思っている。帰るまでに相応のポストを用意しておいてくれってよ。それがなんだ。大蔵大輔辞任。いい加減にしてくれ」

「いいかげんにするのはおまえだ、福地。なんじゃい。俺は今、とてもいい気持ちで寝ていたのによ」

 ソファーで井上はすやすやと眠っていた。しかも膝枕付きだ。

「徳も徳だぞ。横浜でそれなりにうまくやっていたものを、こんな井上さんのもとに行ってよ。しかも、だ。造幣権頭にまでなったというのに、井上さんが辞めたらおまえも辞めて、一緒に会社をやるだと。よくこの人についていく気になったな」

 膝枕をさせられていたらしい益田孝は、ははははと乾いた笑いを漏らした。
 この東京本社の頭取として会社の差配を任されているのが益田であり、井上の大蔵省時代の部下である。
 よいしょ、と福地は風呂敷包を下ろして、それを益田に差し出した。

「おまえの望む通りのものを買ってきたぜ。それからこっちは井上さんだ。なぁに吾曹からじゃねぇ。これは中井さんからだ」

「それを持ってとっとと帰れ」

 と井上が出入口を見た。木戸は茫然とそこで立って成り行きを見守っていた。どうも口を挟める状況ではなかった。

「なんじゃ、桂さんも一緒に来たのか。そんなところにいねぇでこっちに座れよ。今な。とっておきの美味い菓子を持ってこさせるからよ」

「井上さん。吾曹との扱いが違うぞ」

「おまえはそれを持って帰れ。なんで中井じゃ」

「一緒にいろいろと回ったからだ。ローマに行けば馨くんにこれは似合うあれも似合う。あぁ馨くんって……うっとりしていてなんか怖かったぞ、中井さん」

「そのままローマの川にでも突き飛ばしてくれればいいものを」

「井上さん。すごいでござんすよ。なかなかに洒落たものばかりでござんす。趣味がよござんすね」

 益田が風呂敷を開けて、中井の土産を取り出し始めた。

「触れるんじゃねぇ。それはあいつに突き返すんじゃ」

「中井さんは正月が過ぎたら帰ってくるかな。さらに大量にみやげを持ってくると言っていたぞ。あっ徳。その飴、すっごく美味いぞ。おまえがさっさと食っちまえよ」

「中井のことなどどうでもえぇ。桂さん、ここに座れよ。おい益田。桂さんに茶と菓子。おまえが入れろ」

「分かりました」

 と、益田が木戸にぺこりと頭を下げて、出て行こうとするので、慌てて木戸は益田のその腕を取った。

「益田くん。君には妹さんがいるのかい」

「妹でござんすか。三人いますよ。一人は鬼籍に入っていますが」

「しげという名かな」

「……そうでござんす」

 思わず木戸はその場で大きく深呼吸をし、

「益田くんがしげちゃんの兄上だったのかい」

 灯台下暗し。帰国して九段にもちょくちょく顔を出していた益田が、まさかしげの兄とは気づきもしなかった。まじまじと見れば目鼻立ちはよく似ている。

「木戸さんはしげの兄を探していたんだとよ」

「私は徳の兄さまとしか知らなくてね。中屋徳兵衛さんやら大蔵省の下級役人やら……情報が混沌としていて……」

「こいつの名前は益田徳之進だからな。中屋徳兵衛は商人しているときの通称だったな。今は徳之進とは名乗っていないのか」

「益田孝と改めたでござんす。大蔵省のときは孝徳としていたでござんすが、字数が合わないやらなんやらと易者に言われてこうなったでござんすが。しかし、なぜ木戸さまが私をお探しになっていたんでござんすか」

「しげちゃんの近況を伝えようと思ってね」

 ようやく探し人が見つかった。
 しげの言う通り、顔良し、性格良し。ついでに世話焼きで面倒見も良し。

「なんじゃい。益田とはけっこうあんたは会っているじゃねぇか」

 井上が指し示すソファーに向かってようやく歩き出し、

「しげちゃんの兄上とは全く思いもつかなかったのだよ」

 ソファーに座ると「茶を入れてきます」といって益田が出て行った。

「大蔵省の下級役人をしにいったと横浜で聞いたのだけど、下級どころか造幣権頭であるし、名前も変わっているのだから分からないものだね」

「俺も徳としか言わなかったからなぁ」

 ポリポリと福地は頭を掻いている。

「木戸さまの御足労をかなりかけたみたいで申し訳ございません」

 益田が茶を四人分入れてきた。

「俺は熱いのは苦手じゃ」

「あなたのは少しぬるめにしたでござんすよ」

「おうよ」

 井上と益田の息はよくあっているみたいである。

「しげちゃんは女の子たちの中でいちばん明るく、亜米利加をいちばんに楽しみにしていたよ。昔、兄が仏蘭西に行きナポレオンに会った話を聴いたそうでね」

「私が仏蘭西に行った際のことを小さなしげによく語って聞かせたんでござんす。しげはどこか異国を夢見るようになってしまいまして」

「他の子たちは親やふるさとを恋しがっていたけど、しげちゃんはそんな素振りはさして見せはしなかった。ただ……両親ではなく兄が恋しいとのことだったよ」

「しげは徳が親代わりだったしな」

「……私が育てたようなものでござんす。そうでござんすか。元気ならそれはよかったでござんすよ」

「手紙を書くと言っていたよ。返書をくださいと伝えて欲しいって」

「木戸さまに頼むとは……なんという妹でござんすかね」

 益田は嬉しそうに下を見ている。妹が可愛くてならなかったのだろう。

「だがよ。しげは永井の家にいたくなくて留学することを悦んでいたがよ。本当は……徳。おまえのところに居たかったんじゃないのか。なんか俺は……そんな感じに見えたぞ」

「私が大蔵造幣権頭になった後なら、しげを留学に出さなかったかもしれません。あの頃の私はまだ行く末が開けていませんでしたし。なにせ井上さんに拾ってもらっていませんでしたしね」

 井上と梅屋敷で出会った益田は、大蔵省に来ないかと誘われたらしい。知人である五代にも相談し、下級役人をするのもキャリアとして良いかもしれないということになったが、井上は外人あしらいがうまい益田を四等官造幣権頭という役職に就けた。つい先日まで一介の商人をしていた益田にしてみれば、信じられない役職である。

「ですが……ネイティブな発音などはやはり現地の家庭の中に入らなければ生まれないものだと思うんです。これからは子女の教育もさかんになるでしょう。その先駆けになるならば、異国になにやら夢があるしげのような娘が良いと思ったんでござんす」

 益田は英語はヘボン塾で学んでいる。少年のときにはかなりの英語通となっており、それで福地と仲良くなったようだ。

「しげには手紙を頻繁に書きます。勝気な妹なのできっとうまくやっていくでしょうが、それでも心配は心配でござんすから」

 益田が入れた茶はとても美味しかった。
 ぬるめに入れたというが、それでも猫舌の井上にはまだ熱いらしく、ふーふーと息をかけている。
 福地の巴里やローマの話題になり、中井との話になると、その井上がくわっと眉間を寄せて叫び始めると、子どもが一人「益田頭取にお客さまです」と呼びに来た。

「……今日は千客万来でござんすよ」

 失礼します、と益田が席を外そうとすると、客はすでに部屋の入口に立っていた。

「荘作……あっおまえ!」

 益田が素っ頓狂に叫ぶとほぼ同時に、

「兄さん、ひどいではありませんか」

 青年の叫び声が部屋一面に広がった。

「使節団から戻り、まずは兄さんの家でゆっくりと思ったら、横浜の家は片付いているは、兄さんは行方不明。せめて言伝くらいしておいてください。探し回りました」

 それは岩倉使節団の随行の一人だった名村一郎と名乗った青年である。

「すまん。……いろいろあったんだ。すっかり荘作のことを忘れていた。今までどうしていた」

「福澤先生のところでご厄介になっていました。先生には、益田は大蔵省をやめてどこにいったか知らんと言われたんです。兄さん!」

「悪かった」

「荘作も入ってこい。とりあえずうまい茶を飲めよ」

 福地がおいでおいでと名村を導き、

「君は益田くんの弟さんだったのだね」

 しげが無条件に甘えられる理由がようやく分かった。

「こいつは箱館で捕まったんだ。それで島流しやらどこかにやられそうになったのを大隈さんが助けてくれた。使節団も変名の名村の名で通した。女の子たちの中にはあの中でしか分からないいろいろがある。身内が一人、船に乗っているとなるとしげに対してどんなわだかまりを持つかしれないからよ」

 留学生として亜米利加に向かう少女たちは、それは悲壮な覚悟を持っていた。
 山川の捨松などは、親は娘を捨てたつもりと言い切り「捨松」とあえて名乗りを変えさせたほどである。

「……福地さん。ひどい兄だと思いませんか。この兄は私が使節団で戻ったことを分かっているはずだというのに。現在の居所を知らせず、横浜を転々としました。親戚の矢野さんもどこにいるか分からず方々二人を探し回り、慶応義塾でどうにか寝泊まりできましたが……これが弟に対する仕打ちでございますか」

「だから忘れていた。すまん」

「両親ともどもどこにいるか分からないなど……心配になるというものです」

 名村一郎は本名を益田荘作と言う。益田の三歳年下の次弟で、その下には一回り年が離れた英作という弟がいるらしい。

「ひでぇ兄だな、おまえは」

 井上の一言に、

「あなたと会社を立ち上げることでめいっぱいだったんでござんすよ。今の今まで使節団から戻った荘作のことなど思いっきり頭から抜けていたんでござんす。……それで、帰ってきておまえは官吏になるのか」

「司法省に席はもらいました。当分は兄さんのところでお世話になります」

 益田は茶を入れに立った。

「仲が良いのだね」

 木戸がそうつぶやくと、

「仲が良いなら帰る家の場所くらいは言伝をしてくれるはずです。あの兄はしげのことしか頭にない……根っからの妹馬鹿でございます」

 井上が手を叩いて大笑いだ。

「おもしれぇな、おまえ。官吏になるより、俺のところで働かんか」

「使節団に随行する条件が、帰国とともに官吏になることでした」

「そうか。しゃあねぇな。何年かつまらん官吏をやって、頃合いを見てよ」

「弟は道楽癖があるんでござんす。……官吏に縛られているのがいちばんよござんすよ」

 益田は入れた茶を弟に差し出した。
 ぎゃあぎゃあ言い合う益田兄弟を見ながら、実に仲が良いと微笑ましくなる。きっとここにしげがいれば、微笑みながら兄二人を見つめているに違いない。

「徳の兄さまと結婚したかったとしげちゃんは言っていたけど、いったいどんな人を連れ合いにするのか楽しみだね」

 それはやや先の話になる。しげか帰国するころは、この国も少しは子女の教育に前向きになっているそんな国に前進したいと木戸は思った。
 永井しげが帰国するのは十年ほど先のこと。その際にホームステイ先の家族が勧めた結婚相手と一緒に帰国している。瓜生外吉という根っからの真面目で一本気なその相手を益田兄弟は大いに気に入ることになった。

「徳などやめた方がいいぞ。こいつは女に世話を焼かれるのが苦手。どちらかというと自分が世話をするのが好きってやつだ。こいつの相手はな。どこぞのずぼらで片付けも掃除もできん……そんな奴でないと……無理なんじゃねぇか」

「うるさいでござんすよ、福地さん」

「確かに吾が兄ながら細かいところはあります」

「荘作は黙れ」

「だから俺の世話女房が適当じゃろう。なにせ俺は片付けができん。こいつがせっせと片付けんと机が紙だらけじゃ」

 愉快に井上が笑った。
 明治六年、秋のこと。

「それより井上さん。中井さんだがな」

「中井の話はよせ。あぁぁぁぁ! 気分が最悪じゃ。亜米利加まわりで帰ってくるのか。いっそ亜米利加に居つけ!」

「そういうけど、聞多。戻ってこなければこないで心配になるのが、おまえの良いところだよ」

「心配などしねぇぇぇぇ」

 捨松の近況は福地に伝えてもらうとして、これでようやく木戸の「岩倉使節団」副使の役割が終わった気がした。
 わずか一年半。夢の世界を旅し、戻ったならばこの国はさして何も変わっていないが、政局の嵐が吹き荒んで、それもようやく去った。

「中井くんが戻ってくるころに、聞多の会社の門出になるのかな」

「正月に正式に出発するつもりじゃ。俺様は政府から仕事を取ってくる。まわすのは益田がやるから抜かりはないじゃろうよ」

「福地さん。このおみやげ、さっそく役立たせていただきます。大蔵省で渋沢さんがしていたように簿記はきちんと導入しないとならないでござんすよ」

「こいつは今も英語で簿記を付けているからな。俺様は見ても全く分からん」

「……徳の英語の力があれば、貿易関係はお手の物だろうな。……けどよ。これから吾曹はどうすればよいのか。大蔵省には行けんし、あぁ腹が立つ」

「仕方ねぇじゃろうが」

 井上に福地、益田兄弟はこの後、数寄者として互いに親しく付き合っていくことになる。
 そして木戸は、翌年参議の辞表を提出して、郷里に一度戻ることとした。
 ちなみに永井しげは、帰国したとき覚えていた日本語は「ねこ」だけだったそうだ。兄との文通もすべて英語でしていたためである。
 戻ったしげに益田はこつこつと一から日本語の手ほどきをする羽目になったのだが、時折面白い間違いをして益田の頭を痛ませたとのことである。

木戸さんとしげの兄さま

木戸さんとしげの兄さま

  • 全1幕
  • 長州閥小説
  • 【初出】 2019年8月11日
  • 【備考】8月11日、木戸孝允公新暦誕生日祝い。岩倉使節団の女子留学生との交流にしました。