黒田清隆、山田顕義に手紙を送る




『黒田にチーズを送れ、と命じてよ』
 という同郷の陸軍少将山田顕義の一応は頼みらしい願いを、致し方なしという風で陸軍卿山県有朋が引き受けたのは一月前のことである。
 陸軍の状況をそれとなく手紙で北海道の黒田に報せるのを、陸軍卿としての義務として捕らえている山県は、三日に一度短い手紙を陸軍少将黒田清隆に出す。
 薩摩閥の黒田は開拓使次官でありつつも、事実上の開拓使の長にある。だが東京出張所で雑務に当たっており、ほとんど北海道に出向してはいない。それが何を思い経ったか、数ヶ月前に北海道に下った。
 この東京出張所の判官が、蝦夷地を探検した松浦武四郎であった。この松浦の稚号が「北海道人」で、ここから蝦夷地は「北海道」と称されたともいわれる。その松浦は開拓使政策を批判し、当に職をなげうって隠遁している。
 山県は山田の願いを付け加えた簡素な手紙を、北海道の開拓使に送り、数日が経った明治七年五月。
「山県ぁぁぁぁぁ」
 その日、いつ見ても七五三としか思えない軍服を着込んだ山田が騒々しくも駆け込んできた。
「おまえ、黒田にどういう手紙を送ったんだ」
 ぜはぜは肩で息を吸っている山田を、椅子に座したまま見上げ、
「普段の定期連絡と、山田少将がチーズを欲しがっているゆえに送って欲しいと書いただけだが」
「その返事が、これか。見ろ。この長々とした黒田の手紙」
 およそ便箋一枚もしたためていない山県は、見るからに何かの書類か、と思わせる封筒に入った大量の便箋に目を剥いた。
「薩摩人は簡潔を旨にすると思っていたが」
「まずは読め」
 何ゆえ、山田宛の手紙を読まねばならないのか。しかもこのずっしりと重い分厚さ。だが山田の僅かに垂れ下がった目が鬼気迫るもので、致し方なく手紙を手に取った。
 謹啓より始まる手紙は、はじめは時候の挨拶を延々と綴っている。
 声に出して読め、といった山田の圧力にまけ、山県は手紙を音読しはじめた。
「北海道の春というものは今まで鹿児島や京都、東京で感じたものとは違いすぎる……」
 卯月になろうとも花は咲かず、周囲には雪の壁がまだ見受けられる。
 それでも幾分は温かさを感じられるようになり、雪が溶けていくさまを眺めるのはなかなかに爽快。
 卯月の下旬となりて、ようやく北海道にも桜が咲く。これはなんと梅が咲くよりも先である。山には今だ雪が残っているが、山一面が桜で彩られる風情は実に美しく、一度山田少将に見せたく思う。
 といったことで便箋一枚は終わった。
「なにが見せたく思う、だ。五稜郭を攻めたときに散々に見たこと知っているだろうが!」
 山田と黒田は仲はさして良くはない。
 山田におそらく一番に嫌われているだろう山県が見るところ、山田が一方的に黒田を毛嫌いしているところもあり、むしろ黒田は山田に好意を持っているかのように見えなくもない。
 ……札幌周辺の桜が散り始めるころ、桜前線は移動する。道北とは数日の時差しかないが、根室に桜が咲くのは半月も後の五月も下旬というゆえ北海道の敷地の広大さと気候の違いには驚嘆の思いすらある。
(これは……北海道を売り込む手紙か)
 便箋三枚目。以前として季節の挨拶がまだ続く。
 ……桜が散り始めるころに、蒲公英が野一面に咲き誇る。野一面に咲く小さく愛らしい姿を見るたびに山田少将を思い出し笑みが漏れるものだ。
「そこ、そこのくだりだ。何が小さくて愛らしいだ。これは僕の背丈の小ささを暗に言っている。黒田、許せん」
 五尺に届くか届かないかの背丈しかない山田には、「小さい」やら「チビ」という言葉は禁句だ。それを同郷の長州閥の人間はよく承知しており、品川などは承知してなおからかう材料にしている。 山県に関しては、背丈など人を判断する上で何の問題になるものではない、と考えているため、山田に「小さい」などと一度も口にしたことはない。
 ……天気がよい日は、遠き大雪連邦に雪をかぶっているのが見え、その厳粛にして逞しき姿にはこの身の心が引き締まる思いがする。
 さすがに山県はいつになったら、時候の挨拶は終わるのだ、とため息が出た。
「東京では新緑の若葉が香る候と拝察する。夏の到来を知らしめる風も吹くころだろう。藤の花が咲き乱れる姿を思わず想像し、札幌には藤はいつ咲くか、と思わずにはいられない。…黒田はなにを考えているのだ」
「気長で辛抱強い山県でもそう思うだろう。短期な僕なんかイライラだよ。はっきりといって手紙を破り捨てようかと本気でおもったさ。時候の挨拶に五枚。五枚だ。なにをここまで書く必要性がある! これは僕に北海道に移住しろとでもいう誘いの手紙か。開拓使に僕を召致しようとでもいうのかよ」
 バンと机を叩き、山田は怒り心頭という顔をしてキッと山県を見据えた。
「続き、だ。続きを読め」
 いったい、いつまでつき合わされるのだ。山県はうんざんとした。
 山県とて陸軍卿として、机の上には今日中に仕上げねばならぬ書類が山のようにあるというに。
 だが山県は既に承知している。この山田には気が晴れるまで付き合ってやらねば、延々と仕事の邪魔をされることを、だ。
「先日、アイヌの原住民と話しをする機会があった。通訳を交えねば会話が成り立たぬことに、同じ国に住まいながらも言語が違うということを痛感させられた」
「ふん。僕はアイヌの人たちの言葉よりもぜっっっったいに薩摩の方言の方が分からないね」
 またしても「ふん」と鼻を鳴らし、山田は何を思ったのか、山県の仕事机にひょいと飛び乗り座した。
「いっそ手紙も薩摩弁で書いて来いって。そうすれば見た瞬間に粉々に破り捨ててやったのにさ」
 ケラケラとひとしきり笑い、山田はその場で足を組む。
 山田は明治に入って以来、黒田のことになると、どうしてかこう怒り心頭になり敵意がむき出しになることが多い。かの箱館戦争にて五稜郭を攻め落とした、薩摩の将が黒田であり、長州の将が山田だった。
 その時によほど悲惨な交流があったらしく、討伐より戻ったこの二人……特に山田は黒田と視線を合わせるのも厭う始末と言える。
 数日前に参議兼文部卿の辞表を受理された木戸孝允が、この二人の仲の悪さを見て、
『市と黒田君が一緒で、よく五稜郭は落ちたね』
 と、ため息がちにこぼすことがあるほどだ。
「続き!」
 そのアイヌの話がまた延々と続き、最期にアイヌ人の知恵の産物たる「燻製」というものを手にしたので、それを山田に送るとある。
 滋養あるものらしく、また本州では食べられない珍しいものなので、食してみてほしい、とのことだ。
 山田はにたりと笑った。
「そんな意味不明なものを食べるか」
「だが、山田。燻製は貴重なものであり、確かに黒田の言うとおり滋養がある」
「黒田が送ってきたということだけで、僕には受け付けないね。あとで届けさせるからおまえが食べるといいさ。……そう、燻製はいい。まだいいんだ、燻製は」
 どうやら山田に送られてきたものは、ほかにもあるらしい。
 それから米国への留学の際に、黒田が「北海道開拓に尽力して欲しい」と頼み込んだ農務長官ケプロンが北海道に来日したこと。その献策がどれだけ素晴らしいかが記されていた。
「ふん……。あまりに素晴らしすぎる整備事業で財政は超過。いつしか大蔵省が騒ぎ始めて、産業振興に政策は切り替えたんだろう」
 こう聞いていると黒田について小馬鹿にする発言は多いが、よく山田は黒田の揚げ足を取るほどの材料を仕入れている。
 このホーレス・ケプロンは、札幌農学校の開学まで尽力している。
 黒田は北海道へのお雇い外国人の召致には、一定の成果をあげている。ましてや開拓については、雪深い北寒地ゆえ開拓民たちにどのような住居などが適しているか。本州の茅葺住居は北海道には適さず、また生活に困難であることは取り上げられていた。
 ましてや北の内陸地は、真冬になるとマイナス四十度は超える未曾有の地である。開拓に入る者はまさに死に物狂いだ。
 そこで開拓使では、同じく北寒の露西亜の住居を参考にしては、という話があり、早速黒田は露西亜よりお雇い技士を迎える算段に入るが、いざ住居に関しては露西亜にけんもほろろに協力を断られた。
 露西亜にとってはサハリンと目と鼻の先にある北海道の地である。
 協力を要請するくらいならば、いっそ自分たちに渡したらどうだ、といった体であった。
 黒田は方針を転換し、米国の技士たちの最新の技術を参考にして住居を構えることにした。
 露西亜の北寒の住居は窓がないことが特徴であるが、米国技士たちは窓が取り入れた本州の瓦葺の家とは違う家屋を構想し、設計していく。
 これを本州の人間が見たならば、おそらく一種の不可思議さと怪訝さを抱くだろう、と僅かに興奮した手で黒田はしたためていた。
 此処は日本という国かと思わせるどこか新しく、和洋折衷が織り交ぜられた斬新さが北海道には根付きつつある。
 まさに日本の新大陸に等しい未開発の地だ。
 また、旭川の大雪連峰は荒々しく険しく山々である。これを越えねば道東に向かうことができないという箱根の関所なみの難関地だ。
 ここを切り開き道をつくることの困難さも黒田は議題にあげている。
(開拓使の状況を……ここまで詳細に記してこようとは)
 己には便箋一枚しか返事を出してこない黒田だというのに、この山田に対する扱いは何を意味しているのだろうか。
「征台の議論が交わされているようだが、北方の露西亜の脅威が参議たちの頭の中には在るのだろうか。日本が清国に組み込むことを露西亜は徹底して警戒している。貴君は、木戸参議とともに 征台には反対という立場を耳にした。心強い同志を得た心境であり……」
「黙れ……おのれぇぇぇぇぇ黒田」
 山県より便箋を取り上げ、今にも真っ二つに破りかねない形相である。
「僕には僕の思いがあった征台には反対だ。おまえと同志になった覚えなど僕にはない」
 黒田と同等たることが徹底して気に食わないらしい山田は、黒田を憎むようにして便箋に噛み付きかねん顔をして凝視している。
「頼むから静まれ」
「それでこう続くんだ。露西亜との交渉にはこの北海道の惨状に詳しく、また決して異国と対しても物怖じせず堂々たる風格をもってあたらせる人物がふさわしい。そこで榎本武揚を推薦したい。貴君も榎本の度量はよく承知であり、一時は敵であったという思いがあろうが……人物を見極める目は小生より貴君の方が数段と上と思われる。……嘗めているのか。僕を黒田は」
 謙虚な言い回しとしか思えない山県は、一風「新人種」でも見るかのような目で山田を見た。
「露西亜との交渉において全権大使を榎本に、か」
 彼は旧幕臣である。幕末前にジョン万次郎に英語を学び、開洋丸でオランダに留学していた旗本出身の男は、幕府滅亡の後は、蝦夷に独立した共和国を設立し、新政府に最期まで立ちはだかった。
 箱館戦争の後、黒田の進言により共和国の面々はほぼ投降している。
 政府には根強く共和国の首班だった榎本については「極刑」とすべし、という主張があったが、榎本の才を惜しんだ黒田が助命活動にあたり、明治五年に謹慎の沙汰となり釈放された榎本は、直ちに開拓使四等出仕となり北海道に鉱山の調査のために下っている。
「考えられぬことではないが……榎本の全権大使は幾ばくかもめるかもしれん」
「そんなのどうでもいいさ。結局は榎本でまとまるだろうから」
 なんやかんやいいながらも、山田は榎本の才は認めているようではある。
 そこへ扉がノックされた。「入れ」という山県の声により、お盆に湯飲み茶碗を乗せて現れたのは陸軍卿付にある陸軍の武官である。
 山田は茶を運んできてくれた男に、「僕には牛乳を持ってきてよ」と一言添えた。
 ここまで便箋十五枚。そろそろ山県もヒシヒシと頭痛を感じてきた。
 一時は山県より便箋すべてを奪い取った山田だったが、続きを読め、とばかりにそれはつき返された。
 そこから五枚ほど今度は北海道の産物に入り、うにやかには産地に限るなどの踊るような文字に、山県をして「勝手にしろ」と思い始めたときに、
 ふと山田の肩がピクリと動いた。
「北海道には良質な鮭が実に多い。この後、鮭や鰊といえば北海道が名産となるだろう。特に鮭はカムイチェプとアイヌの人々には呼ばれている。魚の神ということらしい。夏になれば時鮭がとれる。地元の人間の魚拓によりその全長は明らかになった。山田少将の背丈には届かぬのが残念だが、良質の時鮭を中元としてそのうち送りたいものである」
「うぎゃぁぁぁぁぁ、黒田ぁぁぁぁ」
 おそらくこの場に銃刀があれば、山田はそれを手に暴れまくったかもしれない。
「落ち着け」
 部屋の中をバタバタ暴れだし、ふと立ち止ると右足でダンダンと床を踏みつけている山田である。
「あの鮭と僕の背丈を比較しやがった。どんなに大きな鮭でも三尺あるかないかだろうが! 僕は五尺はあるぞ。黒田あぁぁぁぁ」
 どうやらコレが山田の一番の怒りの象徴らしい。
 これにて便箋二十枚の手紙は終わり、最期には「貴君の少年の如し稚児姿を拝見するときを楽しみに」などと記されている。
 山田の顔を見て昔西郷が「良か稚児」と口走ったことがあるが、黒田にまで言われたことが山田には衝撃だったのだろう。
「なにが山田少将の背丈には届かぬのが残念だ、だ。こんな嫌味と屈辱を受けたのは初めてだ。僕を……この僕を鮭と」
 すでに山県は制止するのを諦めている。
「鮭など送ってきてみろ。その場で……身長測って写真を送りつけてやる。僕の背丈に対してのアイツの誤解をとかねば」
 鮭と写真を映す。それも背丈の比較のために……か。
 もはや山県は苦笑しかもれず、一刻も早く山田が冷静に戻ることを願わずにはいられない。
 そこで先ほど茶を置きに来た陸軍卿付のようやく青年の域に届いた男が、今度は牛乳を持ってきた。きちんと「陸軍省暗黙の了解」と化している温められた牛乳である。
 それを受け取り一気に飲み干した山田は、疲れきったのかソファーに沈んだ。
「僕は一生黒田を許さん。絶対にこの屈辱は倍にして返してやるから」
 何度も思ったが「勝手にしてくれ」である。だが、ふと山県は一つだけ気になることが頭に浮かんだ。
「山田、それでチーズはどうなった」
「なぁんも。こんな長い手紙と燻製とか木彫りの工芸品とか送ってきたというのに、チーズは欠片もない」
 手紙をしたためているうちに忘れたか。
 山県は手紙を元の封筒にもどし、山田に差し出す。
「山田」
「なんだよ」
「この手紙、違う見方からいえばお前に対しての熱烈な好意の押し付けだが」
「なっ……なんだと」
 山田の怒気に染まった顔面が一挙に青白くなった。
「黒田は一角ならぬ好意をおまえに持っているようだ」
「嫌だ、それは嫌だ」
 またドタバタ暴れだし、山県は重い吐息を漏らす。
「少しは毛嫌いせず長州の人間として薩摩の黒田と付き合ってやるといい」
「山県。アイツ……はじめて会ったとき、この僕に対してちいさか、といったんだよ」
 ほぉ……初耳だ、と山県は視線を山田に向けた。
「その瞬間に決めた。僕にとって黒田は敵だ」
「そうか」
「おまえは大嫌いだが敵ではない。だが黒田は大嫌いで敵だ」
「それで次の定例の手紙で、もう一度黒田にチーズを催促すれば良いのか」
「当然だ」
「今度は長い手紙ではなく簡潔明確にまとめ、チーズは忘れぬようにと付け加えておく」
 すると山田はにたりと笑った。
「そういう物分りがよく即決なおまえは、好きではないが嫌いでもない」
「どちらでも構わん」
 さぁどいてくれ。仕事が山のようにたまっている。
 山田は暴れ叫んだために随分と不機嫌が解決したらしく、ふふっと鼻歌を歌って陸軍卿室を出て行こうとした。
 が、ふと足を止め、振り向かずに、
「黒田に出す手紙に、東京には藤の花は咲いた、と付け足しておいて」
 了解、と小さく山県は答えた。


黒田清隆、山田顕義に手紙を送る

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  • 全1幕
  • 維新政府(陸軍)小説
  • 【初出】 2007年5月18日
  • 【修正版】 2012年12月15日(日)
  • 【備考】