終わりの恋情




 明治二十年を過ぎたころだったろうか。
 山縣が第一次内閣を組織したその時には、長年連れ添った妻友子の病は顕著に表に現れはじめていた。
 首相の家内としては、友子は表に出ることを好まない性格もあり、舞踏会などにもほとんど顔を出すことはなかった。
 ましてや山縣自身、妻を表に出すことは好まない。
『おまえって本当に奥さん一筋だよね』
 伊藤が目を丸くして「信じられない」ものを見るような目に、山縣は一つ吐息を漏らした。
 一夜一夜とっかえひっかえ女をかえ、そればかりか気に入ればすぐさま妾とし妾宅をつくるこの男は……実に金がない。
 新橋などの界隈は伊藤の独占場といわれ、稼いだ金はすべて女に使い果たす伊藤のあり方こそ山縣には信じられない。
 なにゆえもう少し有意義に風流に使えないのか。
『ついでに女より庭がいいなんてさ。女のかわりに庭に金をつぎ込んでなにが楽しい』
『女は一夜の道楽。庭は生涯の道楽』
『なにさ』
『時がすぎ飽きれば捨て乗り換える女よりも、生涯この目にあう庭を眺める幸福をおまえには一生涯分かるまい』
『わからんね。好きな女を毎日抱く喜びをおまえには分からないのと一緒さ。いや待てよ。おまえは一人の女で満ち足りるなんとも甲斐性のない男なのか』
『………』
 この二人、思考からして生涯相容れる隙間すらない……そんな関係だった。
 だが別邸をつくりそのたびに見事な天然の庭を構築する山縣とはいえ、色恋に無縁ではない。
 彼の妻は馬関小町と言わしめた一回り年が違う女性で、三年越しの思いを実らせて結婚に至ったというのは長州で知らぬものはない。
 といっても山縣には「恋や愛情」という感情は無縁で、己が立身出世をなすことしか考えていないともいえる。
 されど妻を出世の道具として選ぶつもりは皆無だったらしい。
 松下村塾で同門だった石川良平の娘友子を妻としたのも、生涯この女とならば「互いに干渉せず」よりよい生き方を遂げられると考えたからだった。
 まさか友子が裁縫の達人で、ことあるごとに新しい洋服を作り、自らの作った衣を己や飼い猫に押し付ける女とは知らなかった。
 ましてや可愛いものが大好きで、可愛いものが目の前にないと癇癪を起こし、世にも恐ろしい「七色の背広」などを繕い、山縣に着せると脅す女だとは夢にも思わなかったのである。
 何度、本気で結婚をあやまったと思っただろう。
 子どもが欲しいと迫ってくる妻に、頭痛をもよおしたことすらある。
「……友子」
 第一議会の閉幕とともに内閣総辞職をした山縣は、目白台にある椿山荘でこの後は少しは静寂な暮らしをと考えていた。
 京都の鴨川の近くに別邸をしつらえ、この帝都より格段と静寂な場所で過ごすのも良い。友子の療養にも最適だろう。
 毎日、山縣が五十を過ぎて後に恵まれたまだ幼い朋輔を膝に乗せて、友子は庭ばかりを見ている。
 この時代、男子の成人率は極めて低く、次女の松子を残し何人もの子を亡くした友子は、朋輔だけは、といささか過保護に育てつつあった。
「だんなさまは風流を介し、美しきものの側で和歌や茶を嗜んで生きていくのがようあっております。政界の喧騒もなく、このようなひっそりとした場所で……」
「友子」
「そろそろほんの少しでもよろしいので、私や松子、朋輔の側にお戻りくださいませ」
 明治に入り陸軍を背負うものとして山縣は多忙極まりなかった。一息つく暇もなく走り続け、現在ようやく少しだけ息を整える時間を得た。
 今まで苦労ばかりをかけた妻が、「可愛いもの」と「子ども」以外、何一つ要望を口にしたことがない妻が、今ささやかな願いを口にした。
「しばらく帝都より離れようと思う。京都の無鄰庵で静かに暮らそう」
 三男四女の子に恵まれながらも、その子を相次いで幼年で失うたびに友子の心には皹が入っていった。
 慈しんだ子をわずか三歳で逝かした苦しみ。誕生の後五日を数えずにかほそい息を止めた子もいた。
 事切れた子どもの遺骸を抱きしめて、友子はいつも狂ったように泣き、心は脆く砕かれる寸前の皹をつくり……今に至っている。
「ちちうえ、ちちうえ」
 孫にも等しい三男朋輔をそっと抱きとめると、山縣の子にしては感受性が強く喜怒哀楽を全面に表に出すこの子はにこにこと笑う。
 誕生したときには、すでに姉寿子の次男伊三郎を養継子としていたため、山縣家の家督は譲れないが、
 山縣が一時変名として名乗った萩原の家を起こさせ、その家を朋輔には継がす所存でいた。
「ちちうえ……すこししゃむい」
 朋輔は、友子が病んで後の子どもであるため、病弱でなにかあるとすぐに熱を出す。とても外で駆け巡り遊ばすことなどできはしない。
 あまりに貧弱のため、医者からは「なにかあれば命の保障はない」とまでいわれていた。
「朋輔、おいで。清子たちと双六でもしようか」
 山縣家の跡取息子である伊三郎は律儀で真面目な心優しい青年となった。山縣の慎重な性格を実子の如くよく受け継ぎ、幼年より「おじさま」と慕ってくれていることもあり嫡子としてよく孝養にも尽くしてくれる。
 また伊三郎は正妻隆子との間に多くの子がおり、朋輔と同年齢の子どもたちが「じじさま」とまとわりついてくるたびに山縣は不可思議な気分を味わうのだった。
 朋輔は体のこともあり、ゆっくりと歩く。その手を伊三郎が握り締め、その子どもの清子がもう片方の手を握り仲良く歩くさまに、
 山縣は家族というものを心底より感じた。
「友子は、今がいちばんに幸福です」
 儚い微笑みに、山縣の胸がドキリと痛んだ。
「覚えていてくださいませ。友子は今がしあわせです」
 今にも消え入りそうなその微笑には覚えがある。
 十数年も前に逝った木戸孝允が、やはり病と死期を自覚したときに同じように微笑んだ。
 静謐で穏やかに。なにを望まず、なにを求めず。ただ時の流れに流される……悟りを開いたかのような微笑み。
 山縣の体を冷風が包み込み、息苦しいまでの恐怖に身を焼いたとき、
「友子」
 座椅子より立ち上がりかけた友子を、そっと自らの両腕に包み込んでいた。
「だんなさま」
 戸惑いが滲んだ声ごと抱きしめる。
 数年前まではこの腕に抱こうとも折れるような痛々しさはなかった。
 やせ衰えた体にはぬくもりがあろうとも、哀しいかな。命の灯火が消えかかっているかのように見える。
「私を、置いて、逝くでない」
 搾り出すかのような声に、友子は小さく笑んで、山縣の体をまるで子どもを抱きとめるように包み込む。
「だんなさまには、もう私しかおりませんのね」
 大丈夫ですよ。きっと友子はよくなって、いつまでもだんなさまに添いとうございます。
 毎日のように不安が山縣の心を覆う。
 愛や恋ではなかった。この女ならば、生涯干渉せずに生きていけると思った。
 だが今は……山縣にとって友子はただひとりの女となった。


 枢密院議長を仰せつかると同じころ、病んでいた友子はすでに起き上がることも適わない身となっていた。
 ほとんど官舎には戻らず、椿山荘で友子の側にある山縣に、
「だんなさま……」
 不安げな眼差しで友子は山縣に手を伸ばす。
 国事にあるもの、妻の危篤に際しても仕事があるときは側にあることは許されない。
 せめて夜だけは、と。この闇が友子の命を覆い尽くさぬように、寝ずに山縣は見守っていた。
「私が……いったら……後添いは貞子さんに」
 小さな小さな声だった。
「……後添いはいらない」
「貞子さんは……きっとだんなさまの……薬になってくださいます」
「いらぬ」
「……だんなさま」
 一度料亭での宴において、酒の酌をしたのは貞子という少女の年でしかない芸者だった。
 その夜、飲みすぎたために朦朧となっている意識の中、「お夜伽を」と蒲団に入ってきたその貞子を、あろうことか山縣は友子と間違え、ただ抱きしめて眠った過去がある。
 化粧を落とした貞子の顔は、まだ出会ったばかりの十五の少女でしかなかった友子と瓜二つだった。
「……だんなさま」
 やさしい声音を聞きながら、頬に流れ落ちる涙をぬぐい、
「私の女はおまえだけだ、友子」
 素っ気無い一言に、友子はくすくすと笑い、すぐに苦しげな表情となり咳き込んだ。
 病んでなお美しい女であり続ける。三十を過ぎようとも、少女のころの印象とさして代わらず、きれいな女だった。
 今、悟りきったように目を閉じる友子の手を握り締めて、
 山縣はようやく今この時に気付く。
 己がいかにこの女を愛していたか。この女とはじめてあったその時、長らく認めなかったが……一目ぼれだった、と。
「友子……ともこ」
 はい?と目をあけたことに安堵し、そっと身を倒して山縣は友子の体を抱きしめた。
「……私はおまえが好きだ」
 胸元に力なく顔を埋めて、友子はただ「はい」とだけ答えた。
「友子も……だんなさまを好いております」
 添うた時、はっきり頭に浮かんだのは、年老いてなお二人並んで庭を見ながら茶を飲む光景。
 多くの孫に囲まれ、賑やかな中で二人一緒にあるそんな晩年。
 ただ一人、共に老いて共に生きていく相手に選んだ女は、山縣を一人取り残そうとしている。
「……だんなさま。友子のためにも……後添いを貞子さんに」
 山縣が芸者の女と同衾したという話は瞬く間に広がり、例え何もなかったとはいえ、それが通じる時勢ではない。
 山縣は密かに貞子を落飾させ、いずれ婿を探してやろうと思い友子に預けていた。
「貞子さんを見るときには、友子を思い出しますでしょう? 友子はそれがうれしいと思えます。……他の人は……いや。友子は……」
「喋るな」
「だんなさま」
「……それが願いならば……ようわかった」
 おそらく最期の願いと分かるゆえ、山縣はそれを拒むことができなかった。
「よかった……」
 友子は泣きながら微笑んで、その時は穏やかな顔で眠り……二度とは意識を戻らせず、そのまま逝った。
 息を引き取って後数刻、山縣は部屋に誰も入れることなく、
 何度も静かに「友子」と呼び続けていた。
 山縣はこの後も権勢を強め、「大御所」の一人として明治、大正をいきていく。
 その男が、守り袋にそっと忍ばせた写真は、美しいまま色褪せることなく、山縣の胸に終生抱かれ続けた。


 日清戦争に第一軍司令長官として出征するその前に、
 山縣有朋は後添いとして貞子を椿山荘に迎えている。
 だが、貞子と仲睦まじき夫婦であろうとも、最期まで正式に妻とすることはなかった。


終わりの恋情

終わりの恋情

  • 全1幕
  • 維新政府(陸軍)小説
  • 【初出】 2007年11月20日
  • 【修正版】 2012年12月15日(日)
  • 【備考】